何のために生きている?答えは「人生を楽しむため!」~辿り着いた経緯

「自分って何のために生きているんだろう?」
と小さな頃から考えていました。
深刻な感じではなく、漠然とした感じです。

「何か使命みたいなものがあるんじゃないかな~?」
そんなことも考えていました。
今でもよく覚えているのですが、小学校の高学年頃です。

月日を経て、その疑問の答えがあるキッカケで見つかりました。

折角生まれて来たんだもの、生きている内に楽しまないと勿体ない!
人生を楽しむために生きているんだ!!

そんな結論が出て今に至ります。
(答えが出た後に、回り道してしまいましたが…:苦笑)

辿り着いた経緯を綴ってみます。

同じことを繰り返すことへの違和感

幼少期~就職までは、多少は浮き沈みがありましたが、概ね子どもらしく遊んで楽しく過ごして来たと思います。
そんな中でも、
「何のために生きているんだろう?」
「何で生まれて来たんだろう?」
と、時折考えることはありました。

就職する時は、
「これが自分のやりたい仕事なんだろうか?」
「自分なんかがこの仕事に就いていいのだろうか?」
そんな葛藤を抱えつつも職に就きました。

職に就いてからは無我夢中。
やりがいもありましたし、楽しいこともあったので。

キャリアが重なるとドンドン仕事量が膨らみました。
「自ら率先して背負った」
かもしれません。
ただ責任感とやりがいなどで自ら膨らませていたのでしょう。
「使命感」もあったと思います。

1日12~15時間以上は当たり前で、休日もほぼ無く。
この状態に当時は違和感を持っていませんでした。

数年後の年度末に、ふとした思いが頭をよぎりました。
色々なことをしなければならない職種ではあったのですが、それは仕事内の「いろいろ」であって、もっと視野を広げれば結局1年間同じようなことを繰り返し続けている感覚が生まれ、なんだか虚しさを覚えました。

更に、開放的に過ごす時間が無いことへの違和感も同時に湧いてきました。
(※自分自身の楽しみに使う時間が無いということ)

「自分の人生ってこれでいいんだろうか?」
「こういう人生を望んでいたのだろうか?」

この時をキッカケに仕事に対する見方が一変してしまいました。
諸々考えた挙句、一旦「違和感」にフタをしたつもりで、とりあえず仕事を続けました。

しかし、イライラすることも多くなり、仕事も上手くいかなくなって来ました。

こんな感じで数年続けましたが、仕事尽くめの生活にパンクしてしまいました。

人生を楽しむことに気付いた大きな転換点

しばらく休職するも無気力状態。
そんな最中に、
「復職のことをそろそろ考えないか?」
という上司からの一言で、頭が真っ白になってしまいました。
(※悪気があって上司が言った言葉ではありません。後に退職祝いをささやかに開いていただけましたし。)

翌日自殺未遂をしました。
無意識に勝手に体が動く感じです。
あんまり記憶もないんです。頭が真っ白くなってから未遂に終わり翌朝を迎える間の記憶です。
(※何かで読んだことがありましたが、自分が経験するなんて思いもしませんでした。)

未遂に終わった翌朝、
「人生終わらせるなんて簡単なんだなぁ…。いつでも出来てしまうんだ…。」
なんてことを感じ、改めて自殺なんて馬鹿らしく思いました。
同時に、
「何のために生きているんだろう?」
という疑問に再度直面しました。

確か5日間程、寝転がりながらぼんやり考え続けていたと思います。

その時に、ふとある言葉が頭に浮かびました。
「生きてりゃ何とかなる!」
(この言葉、ある映画のセリフなんですけど:苦笑)

「あ、そうかも!?」
と思い、起き上がることが出来ました。

「人生終わらせるなんていつでも出来るんだから、生き続けることの方が貴重だ。」
と改めて思い直しました。

でも、
「何とかなる!」
って言っても、そもそも「何のために生きている?」のかわからないので、また考えました。

復職すべきか否かも考えていたのもあって、仕事中に感じた違和感を思い出しました。

「自分の楽しみに時間を使えない。
自分は楽しめていない。
この生き方ってまずいってか勿体なくない?」

この思いと、
「生きてりゃ何とかなる!」
が合わさって、
「何のために生きているか?」
という疑問の答えが出ました。
「人生を楽しむために生きているんだ!」

と。

未経験のことに楽しみがゴロゴロ転がっていた

2011年3月に退職。
帰郷したのが11日。
日本で大変なことがあった日。
それ以降も仕事以外で諸々のハプニング(結構大きなこと)がありました。

そんなことも影響してか、楽しむ方向性を間違えました…。

色々抱えた問題もあって、その問題のせいにして自暴自棄的な楽しみ方というか、「心底楽しむ」んじゃなくて、現実逃避的な楽しみ方というか…。
随分回り道をしました。
(自分自身が「回り道も経験してみたかった」のかもしれません。)

ただ、回り道をしている間に、「本当に楽しくて幸せだな!」「生きてて良かった~」と思う経験もしました。
それらが、自分の楽しみ方でもあるのだろうと今は思えています。

例えば、
「綺麗な景色を眺めながら穏やかな時間を過ごす」
こういうことに全く興味がなかったんですね、以前は。
ところが、今やすごい楽しみになっています。

興味を持てなかったことに、ちょくちょく手を出してみると、
「あ、楽しい!」
って思う自分に気付くことが多々ありました。

「まだまだ沢山在るんだろうなぁ~」
と思うとワクワクします。
年齢は関係無し!(笑)

他の人からどう思われるとか、どーでもよくって、
「自分の人生だし、楽しまなきゃ勿体ないでしょ!」
と自分では思うので。

「楽しむために生きている」
いろいろな経験を経て同じ結論に至っている人が案外多いです。
漠然とした話ではなく、理論的に解説している書籍もありますね。

仕事の方は、やっぱり「同じようなことをする」というサイクルはあるんですが、そこにクリエイティブさが以前よりも遥かに加わるので自由さや面白みがあり、進化の過程でまた新たな道が見えて来ます。
そんな感じで楽しみつつやっています。

使命感は軽く楽しく!

「使命」というものはあるようで、無いような。

強いて言えば、
「自分が行動したことで誰かに喜んでもらう」
それが使命なのかもしれません。

昔はすごい狭い範囲で考えていたんですけど、道に落ちているゴミ一つ拾うことでも誰かが喜んでくれていると思っています。

自分が「嫌だ~」と思い続けながらやっていることって使命とは違うような…?
無我夢中になって仕事出来るのであれば、それはそれでいいのかもしれませんけど(?)

私の例で言えば、前職の数年は正に「無我夢中」で労働時間の長さに疑問を持たなかった期間もあったので、振り返るとその間は「良かったんじゃないか?」と思えます。
沢山の人に喜んでもらえましたしね!

「人に喜んでもらうことを違うステージでやりたくなった。」
きっとそう感じたのでしょう。

実際違和感を覚えてから、自ら「止めよう!」と思い行動に移しつつあったんですけど踏み切れませんでした…。
「あそこで踏み切れていたら…」
なんて思うこともありましたけど過ぎたこと。
大事なのは「今」

「使命」というと重く感じるかもしれません。
実際私もそうだったので、今はあんまり「使命」という言葉を使わずに、
「誰かに喜んでもらえたらいいなぁ」
と、あくまで軽い心持ちで生きています。

軽く、楽しくです!

…時折「わっ!」と燃え上がることもあるんですけどね(笑)
ある程度の期間で一回立ち止まって、見計らって引き下がっています。

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